桂枝雀が自作の新作を演じ始めたとき、小佐田氏が試しに書き送った「幽霊の辻」が、1977年に即演じられ、以来サラリーマンをやめて今に到る。
乗ったとき(または苦しまぎれのとき)は、まずワンシーンを思い浮かべてとりかかる。劇作家の山田太一氏が「最もチャーミングな場面から書き始める」のと似ている。楽屋で聞いた裏話では、電話帳を繰ってヒントを得ることもある、とか。
九雀は三席。伊勢参りの旅ネタの一節で小佐田氏が復活した「軽石屁」と、文化講座に泥棒教室があったら、という「どろぶん」。そして古典風の人情もの「産湯狐」でお開き。林家染丸の弟子、染左も、「道具屋」をきちんと演じた。充実した会だった。(楽互家)
ヨーロッパでは、若い人のクラシック音楽離れをくいとめるため、一流のコンサートホールや著名なオーケストラが学校を招待したり、うんとお値打ちなチケットを用意するなどのプログラムを組んでいるそうです。文化を後世に伝えるためには、まず聴き手を育てていくことが何より大切という立場なのでしょう。
「落語」は伝統文化であり、庶民の娯楽でもあります。若い人たちにも気楽に楽しんでもらいたい。「落語」がシニア層をねらった高額商品になってしまうのは、なによりも「落語」にとって歓迎されるべきことではないと思うのですが。
第55回『桂九雀・林家染左』2003年3月2日
演目:軽石屁・どろぶん・産湯狐(九雀)道具屋(染左)参加者:83名